コラム「大河ドラマ『豊臣兄弟!』をより楽しむために」 第2回 通字と偏諱(へんき)と秀長の実名
2026年1月21日
第2回 通字と偏諱と秀長の実名
ついに大河ドラマ「豊臣兄弟!」がはじまりました。秀吉・秀長兄弟の今後の活躍が楽しみですね。
さて、前回に続いて名前の話しをしたいと思います。実は秀長という実名は、あとから名乗ったもので、はじめは「長秀」でした。「秀」は豊臣氏の一族が実名に入れる文字です。秀吉以外にも、秀頼・秀次・秀勝・秀保など、皆「秀」が入っています。これを「通字」といい、一族が実名に同じ一字を用いるという、武家社会では長きにわたって続いた慣習でした。鎌倉時代の執権北条氏は「時」、足利将軍は「義」、織田氏は「信」、徳川将軍は「家」が通字になります。
ところで武家社会には、名前に関してもう一つ慣習がありました。それは、主君が有力家臣にその名の一字(偏諱)を与える、というものです。例えば著名な戦国武将の武田信玄ははじめ「晴信」と名乗っていましたが、「晴」は室町幕府第12代将軍の足利義晴から拝領したものです。徳川2代将軍秀忠の「秀」は秀吉から、水戸黄門で知られる徳川光圀の「光」は3代将軍徳川家光から、「暴れん坊将軍」吉宗の「吉」は5代将軍徳川綱吉から、といった具合です。
では、長秀の「長」はどこからきたものでしょうか。おそらくは織田信長から与えられたのだと思われます。信長の家臣には、丹羽長秀、原長頼、菅屋長頼など「長」からはじまる実名を持った者が散見できます。長秀を含めて彼らが信長の偏諱を与えられた可能性は大いにあるでしょう。
長秀から秀長へと改名したのは、天正12年(1584)のことです。この2年前に信長は本能寺の変によって落命し、その後継者として秀吉の権力が飛躍的に増大していた時期です。主君から拝領した偏諱は、二文字から構成される実名の上にするのが当時の常識で、下にすることはあり得ませんでした。信長や織田家に配慮する必要がなくなった秀吉が、弟に対して「秀」を上にするように指示したと考えられます。
「第1回 登場人物たちの呼ばれ方」は、以下からご覧になれます
コラム「大河ドラマ『豊臣兄弟!』をより楽しむために」 第1回 登場人物たちの呼ばれ方
