国学院大学北海道短期大学部国学院大学北海道短期大学部

コラム「大河ドラマ『豊臣兄弟!』をより楽しむために」
第3回 織田家中における秀長の立場
国文学科 教授 堀越 祐一

2026年2月25日

第3回 織田家中における秀長の立場

前回、秀長の初名は「長秀」だったこと、その「長」は信長の名前から一字を拝領したであろうことをお話ししました。そこで今回は、ここから秀長についてどのようなことがわかるのか考えてみたいと思います。

これも前回お話ししましたが、主君がその名の一字を与えるというのは、たしかに中近世によくみられた慣習ではあります。しかし、家臣であれば誰もが与えられたわけではなく、対象は限定されていました。まず、直属の家臣でなければなりません。これを直臣(じきしん)といいます。陪臣(ばいしん・家臣のそのまた家臣)は対象外でした。主君から一字拝領の栄誉に浴することができたのは、直臣の中から選ばれたごく少数だったのです。つまり、秀長が信長から一字拝領したとするならば、秀長は兄秀吉の家臣ではなく信長の直臣だったということになります。

ところで、1574年に信長が伊勢(三重県)長島の一向一揆を攻めたとき、秀長は信長の先陣を務めたことが信長の伝記『信長公記』にみえます。秀吉がこの戦いに加わっていた形跡はありませんから、兄弟別々に行動していたわけです。秀長が信長の直臣であったことを示す大きな証拠と言えるでしょう。大河ドラマでも「秀長は信長の直臣だった説」が採用されていましたが、それにはしっかりとした根拠があったのです。

では、「長」を与えられなかった秀吉は、信長からの評価が低かったかというと、そういうわけではありません。信長の主だった重臣たち―柴田勝家・佐久間信盛・滝川一益・明智光秀なども、秀吉と同様「長」を名乗っていません。後年に信長の四男を養子として迎え入れていれた秀吉は、むしろ厚遇されていたとみてよいでしょう。

 

過去のコラム「大河ドラマ『豊臣兄弟!』をより楽しむために」は、以下からご覧になれます。

第1回 登場人物たちの呼ばれ方

第2回 通字と偏諱(へんき)と秀長の実名

 

 

 

 

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