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2006年08月12日

解決ハリマ王の何でも解決コーナー(2)〔8月〕

 コウシンてからと思っているうちに、大幅に更新が遅れてしました。 早速、皆さんから、私に解決して欲しい疑問・悩みを寄せて頂きました。順に私の解決法を。
 

コウシンてからと思っているうちに、大幅に更新が遅れてしました。べタなギャグから入るとは、と思う人もいるでしょうが、こういうのを「掛詞」といって、これを使いこなせることも、奈良時代の昔から、日本では教養人の素養の一つでした。今後、お互いに「掛詞」にも磨きをかけて、更に高いレベルの教養人なろうではありませんか。
 本題に入りましょう。
 早速、皆さんから、私に解決して欲しい疑問・悩みを寄せて頂きました。順に私の解決法を。
 (1)文章にキレのない清少納言さんの、「親からの自立」に関する悩みについて。
  「精神的な自立」は一生できません。何かあった時に頼れるのは、親しかいません。親戚も友達も所詮他人です。血の繋がりは消せません。年と共に親と似てきてしまうものです。だから、親がこの世にいなくなったときに、否応なしに「親から自立」することになるのです。
その時が何時やって来てもよいようにしておくのが、今考える「親からの自立」だと思います。あまり大げさに考えず、要するに、今現在、衣・食・住を親に頼らずに生きていくことを考えればよいのです。一人で生きていくのに最低の給料でもよい、どこでも、何でもよい。まずは職に就くことです。そこから全てが始まるのです。私の最初の給料は4万円。アパート・水道・ガス代が2万円、通勤費5千円、残り1万5千円で食と衣を賄いました。その時が、私のこれまでの人生で最も幸せを感じた時だったように思います。現在の私の原点はそこにあります。お金ではなく、貧しくても自分で働いて生きているぞと実感することが大切なのです。
 もし親が君をかわいそうに思って、経済的な援助をしてくれたら、それはありがたく受けて、全てを貯蓄しておくのです。親に何かあった時に、それを使えばよいのです。
以上が私の考える「親からの自立」です。
 なお、清少納言さんがもし女性ならば、古い言葉になりますが、結婚という永久就職も選択肢として考えては‥‥。ただし、その際は将来性のある男を選び、その男をしっかりと支え、教育することです。そして、子育てをしてみると、「親からの自立」を実際に体験することにもなりましょう。
 ちなみに、清少納言は中宮定子の女房といっても、宮中生活を送るには、受領(現在で言えば県知事で、経済的に裕福だった階層)だった父清原元輔の経済的援助が全面的にあったのです。

 (2)感情に振り回されてしまう悩みの六条御息所さんへ。
 感情的になったり、それを表に出してしまったりすることで悩む必要はないと思います。いい加減な生き方をしていると、そのような悩みは出て来ません。それは、一生懸命生きている証拠なのです。
 相手がどう思うかを意識するから悩むのです。そういう時は、一人になって思い切り叫ぶなり、どなるなりして表に出せばよいのです。我慢すると、せっかくのやる気がそがれ、目的の実現ができなくなってしまいます。
 内に向かって、じっと耐え、一人で悩み続けると、落ち込むだけです。六条御息所は生き霊となって、自分の気持ちを光源氏に伝えたのです。自ら行動を制約しては、何も成就しません。

 (3)近江の君さんからの、同窓会の出欠の返事を先生にもらっていないのをどうしたらよいか、と言う悩み。それは、すぐに解決しました。その先生から幹事に出席の電話があったそうです。先生とは私でした。このコラムに寄せてもらったのが、まさに押しつけがましくなく返事を求める最高の方法だったというわけです。

 (4)「みのもんた」のスタミナの源をお尋ねの、スタミナ切れ傾向にある知里真志保さんへ。
 みのもんたが、05年年末から06年正月にかけて脊椎間狭窄症で手術をしたのに、すぐに完全復帰し、朝早くから晩遅くまで、テレビ各局の番組をこなしているのは、まさに驚異的と言えます。彼自身が或る番組で語っていましたが、彼は若い時にラジオのパーソナリティーで人気を博していました。ところが、それから約20年間アナウンサーの仕事から干されたのだそうです。だから、仕事が来るようになってからは、選り好みせずにできるだけ受けるようにしているとのこと。そのスタミナの源は、20年間の渇望にあったことを知りました。
 精神的に恵まれない時代を経験し、それを乗り越えたからこそ現在があるわけです。人間よっぽど重症の病がなければ、精神力でどうにでもなるのです。彼は何も語りませんでしたが、その20年間は将来に不安を持ちながらも、自分を磨き続けていたのだと思います。誰にも認められなくても、目立たなくても、目標を見失わず、やる気をなくせずに耐えたからこその結果なのだと思います。我々は目先のことに目を奪われ、うまくいかないとすぐ弱音を吐きます。そんなところからは、何を食べても、何を飲んでもスタミナは生まれないのです。少々のことでメゲナイことが、次の行動のスタミナの源になるのです。
 私もそれを見習おうと思っています。

 今月は、(1)に力を注ぎすぎてしまいましたが、皆さんから寄せられた4つの悩み・疑問を完全に解決したつもりです。もっとよい解決法があれば、お寄せ下さい。また、私に解決して欲しい疑問・悩みもお寄せ下さい。
 では、また9月にお会いしましょう。

 
 

2006年08月01日

橋本 征子 

国文学科では、一年生は入学後7月までは基礎ゼミとして

文をよみとり、内容を把握し、縮約するという積み重ねをしてきましたが、後期からいよいよ本格的に研究をする為に専門ゼミにわけました。
このゼミで、一年半にわたり、卒業にむけて、自分の研究したいこと、また創作したいことを見極め、卒業論文、あるいは卒業創作品にしあげてゆきます。
 教員もそれぞれ自分の専門分野を学生に指導することになりますので、教員と学生との知的共同体としての結びつきは堅く、学生は教員の個性にふれ、研究の深さとその面白さを、味わうことでしょう。
 各ゼミで、後期にむけての課題もだされていることでしょう。この夏休み、是非有意義に過ごして下さい。

近代文学と昔ばなし(2)−尾崎紅葉『鬼桃太郎』A−

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”鬼文字” C ほるぷ出版 

さて、苦太郎が鬼が島の境まで行き行くと、魔風にわかに吹き荒み、瀧のように暴雨注ぐ中、電光閃いて金色の毒龍現れる。髑髏(されこうべ)一個与えて主従の契約(ちぎり)を結び、さらに毒龍が呼んだ白毛朱面の大狒(ひひ)、牛かと見紛う狼を家来に加える。
 毒龍の魔術の黄雲に乗って日本を目指すが、スピードオーバーで行き過ぎ戻り過ぎを繰り返し、過ぎたるは及ばざるが如しの神通力といったありさまでままならない。やがて大狒(ひひ)と狼が海に落ちて鰐(わに)の餌食となり、仲間割れで毒龍を見事にやつけたのはよいが、
苦桃太郎はるかの虚空より足場を失い、小石のごとく真一文字に舞下がりて、満々たる大海へぽかん!
 まことにあっけないない幕切れは、読み手も<ぽかん!>といったところ。しかし、四番候補のパワーヒッターばかり揃えたプロ野球チームの惨敗振りを思えば、納得せざるをえない。むしろ、明治24年の作品と思えぬ新しささえ感じさせる。
 知らぬは桃太郎と犬猿雉で、彼等は危うく命拾いした訳である。思えば、桃太郎主従がさっそうと鬼が島征伐に成功してめでたしめでたしでは一面的に過ぎる。古今東西あらゆる戦さの、互いの言い種が正義であり、ここに紅葉の『鬼桃太郎』の基盤もある。
 なお、表紙見返しの、<おにが嶋の文字>による序文?という紅葉の創意は、ハイファンタジーの視点から、もっと注目されて良いと思う。(この項おわり)

秋元信英、7月の活動

【講義】 1年生、前期の必修科目「国学(こくがく)」を担当しています。

7月には本居宣長の『古事記伝』を学習し、彼が『古事記』の巻頭第一行にある「天地初発之時」を「アメツチノハジメノトキ」と読み、万葉仮名では「阿米都知波自米能登伎」と解釈したのについて勉強しました。これについては、上田賢治先生の『神道神学論考』(大明堂、平成3年)に所収してある論文「神道信仰に見る唯一神教的傾向」が論じられたので、参考にさせていただきました。私に自前の発明はありませんが、学生諸君と同じような初心に立ち返り勉強しました。とても、よい経験でありました。

[月岡道晴]万葉恋の歌(2)

 萬葉集の歌はいまだ王朝和歌の洗練を経ていないために、非常にストレートな、現代的な作が多くあると前回お話ししました。今回はその続きです。

      夫君に恋ふる歌一首
   飯食めどうまくもあらず。行き行けど安くもあらず。あかねさす君が心し忘れかねつも(巻16・3857)

 恋をすると何も手につかない人、いますよね。以前観た恋愛ドラマに「男は恋をすると仕事に励む、女は恋をすると仕事が手につかない」という台詞がありました。それが本当ならば、この歌には女性のほうが共感できるかもしれません。ごはんを食べてもおいしくない、どこへ出かけてもドキドキが収まらないと詠む前半部は、どの時代に生きる者にもわかる感情でしょう。
 そこに続く「茜さす」は「君」にかかる枕詞と一般的には解釈されているのですが、わたしはそうではないと思います。このことばは萬葉集に11例あって、ほとんどが「日」または「昼」にかかる枕詞です。そうでない例は、有名な「あかねさす紫野行き、標野行き、野守は見ずや。君が袖振る」(巻1・20)のように「紫」にかかる場合とこの歌の場合とがあるだけですが、そもそも〈枕詞〉と認定されるには、「たらちねの」といえば「母」に続くというように、固定した決まり文句になっている必要があります。この歌のように1例しかないことばの連なりを枕詞と呼ぶのは無理だと言わざるを得ません。巻1・20歌の「あかねさす紫」は茜色が薄くさしている紫という実際の色彩感の表現ととるべきでしょうから、この歌でも同じように色彩感の表現として解釈しておくのが自然でしょう。
 しかし「茜色がかった君」では、いかにも不自然です。ですから、ここでは「あかねさす(君が)心」として、主に「心」にかかるという解釈を提示しておきます。茜がかったあなたが忘れられないというよりも、茜がかった恋心が忘れられないというほうが、歌の表現として相応しいと思いませんか?
 この歌を収める巻16は、歌とともにそれにまつわる伝承をも併せて伝えている巻です。それによると、この歌の作者は佐為王に仕えていた下女だったそうですが、宿直続きで旦那さんになかなか逢えなかったそうです。逢えないと恋心が募るのが世の常ですが、ついにある当宿の夜、夢に旦那さんが出てきました。はっと目覚めて抱きついたのですが、手には何も触れません。女は号泣しながら、大声でこの歌を吟詠したそうですが、その歌を聞きつけた王は感動して、以後当直を免除してやったということです。
 このように古典作品には、歌を詠むことによって状況が劇的に改善される話の型があり、〈歌徳説話〉と呼ばれています。優れた歌は人生の苦境をも切り開くのです。